ホントの様なウソの話。

ウソはイカーン!

というのは普通の話なんだけども、あと50年ぐらい生きて今回のコロナの事を語り継ぎたいじゃないですか?

 

誇張してw

 

 

孫「おじいちゃんの若い頃にコロナってすごかったんでしょ?」

ワシ「そうじゃ、あまりにも凄い感染者が出て江戸時代以来の鎖国をしたんじゃよ」

孫「え、そうなの?」

 

ワシ「怒りに我を忘れ眼を真っ赤にした群衆がスーパーになだれ込み、もう我々ではどうすることもできなかったのじゃ」

ワシ「もうああなってはだれも止められん。全てが無くなるまでジッと身を寄せて隠れているしかなかったのじゃ」

 

孫「マスクをしてないとダメでったんでしょ?」

ワシ「そうじゃ。マスクをしてない娘さんがいると『姫様!マスクを!マスクをしてくだされ!』って皆が言ったもんじゃよ」

 

孫「凄い死者が出たんでしょ?」

ワシ「そうじゃ。第二次世界大戦の死者数を越す人口を死に至らしめた。人々は、自らの行為に恐怖した。コロナは膠着状態に入り、一年あまりが過ぎた……」

 

孫「新型のコロナウィルスも出てきたんでしょ?」

ワシ「このスピードで感染するコロナなんてありはしません!変異種は通常の三倍のスピードで感染します!ってみんな驚いたもんじゃよ」

 

 

 

孫やひ孫に盛って話したいので出来るだけ長生きしたいものです。

漬物屋と幽霊、その出会いと終わり

28年前のお話。

親とソリがあわなく、高校卒業と同時に違う市で一人暮らしをはじめました。勤め先のお願いで一カ月遅らせて5月入社。なのでアパートを探すのも少し余裕をもっていたら学生街ということでほぼ空きがない状態。

 

「空きあったからもうきめてきたぞ」

 

 

と未成年だったので保証人をお願いした親父が勝手に決めてきた1Kの物件に引っ越すも、お寺のデットスペースに立てた、玄関開けたら二歩でお墓(壁もない無縁仏の集まり)裏が30度の傾斜の駐車場そして奥にお寺、となかなか人が選ばない物件。

こういうとこが親父の嫌な処だった。

 

しかし築3年と古いアパートでもなく、まあ仕方ないか、どうせ寝に帰るだけだし、と思い引っ越した。

 


初めての夜、それは起こる。

夜、不意に目が覚めるとベッドの足側に綺麗な女性がこちらを向いて立っていました。

 

髪はショートボブ。白いノースリーブに赤い膝上ぐらいまでのタイトスカート。ベッドに隠れて膝下からはあるかどうかはその時はわからなかった。めちゃくちゃ綺麗な女性(デリンジャーを歌っていた頃の刀根麻理子さんをグッと若くした感じ)慌てて枕元の眼鏡を取って見ようとしたらもう消えてしまっていた。その時気付いたんですが、夜中の月灯りがあったとしても裸眼視力0.03なので顔がハッキリ見えるはずがないのだ。


それから時々眼鏡のフレーム外の目の端にたまに部屋から外を眺めている姿や部屋と台所の間のすりガラスに写ったり空気椅子の様に座る仕草で窓際に佇んでいたりしていました。

 

怖くなかったかと言われると、ほとんど実害が無かったのと、とにかく綺麗な顔立ちだった事、そしてなにより周りに誰も知り合いがいない初めての一人暮らしで寂しさと彼女欲しさの妄想が幻覚を見せているんじゃないか、とずっと思っていた。

真正面から見たのは最初だけで、あとは目の端にチラッと写るだけだったのと、当時30年前ぐらい前の恐怖映像は恨めしやー的な白装束や青白い口から血を出したオバケ的なのしかテレビで放送していなかったので幻影や妄想の一種だと思っていた。


で、その年の夏前、どうやら自分が仕事に行っている間に、裏のお寺で法要があったらしく僕の借りている傾斜30度の駐車場に無断でヤクザの方が車を止めていたらしく、帰ってきたら黒塗りのお高そうなセダンが止まっていた。

これは困ったな…と思っているとお寺からヤクザの方が走ってきて

「わりぃわりぃ、少し止めさせてもらってた。すまんね。窓越しに彼女に止めさせてといったらそのままスゲェ怖い顔で睨まれて部屋の奥に行ったんで良いかと思って。すまんすまん」

と車を移動していった。

 


その時初めて「あ、妄想じゃなくて何かがいるんだ」と気付いた。


その後引っ越しをしてしまいましたが、その部屋自体がその子を記憶しているんじゃないかと思える、人生でなかなか体験出来ないモノだった。

 

君は不思議惑星キン・ザ・ザを知っているか

名古屋に住む者は幸せである。

なぜなら大須シネマさんが「不思議惑星キン・ザ・ザ」を映画館で上映してくれるから。

 

一部の映画好き(マニアとは言わない)の中でカルトな人気のキンザザ。僕も偶然行った小さな映画館で初めて見た。

詳しくはYouTubeに予告編があるので見て欲しいんだけども、2時間15分の大半は公言可能な罵倒語「キュー」と、その他全ての表現である「クー」で表現されている映画。要するに「クー」と「キュー」しかセリフがない。これが結構よく出来ていて、設定では彼らは超能力で会話しているので「クー」だけでお互いを理解するんだけども、見ていると段々と「お…なるほど」「うんうん」と理解が出来てくる。もしかして我々も超能力を持ったんじゃないかと思うぐらいラストだとわかるようになる。

 

不思議惑星キンザザ、結構不思議な映画でロシアでは1570万人の動員があったと言われる凄い映画。ブログほ書いている時点(1/10)で鬼滅の刃の映画が2500万人動員と言っているんだから1986年のソ連でめっちゃ見られてる映画と言える。今ならキンザザ見てない奴にキンザザハラスメント「キンハラ」している奴とか、街にマシコフコスの奴とかいてもおかしくないしキンザザウエハースとか売っているにちまいない。

 

 

ただやっぱりカルト映画の部類。「クー」で感情を表現しなきゃいけない映画ってなんだよ、とw

山田洋次監督版 不思議惑星キンザザとかみたくなるじゃないですか。

主演「クー」

監督「違う」

主演「クーー」

監督「違う!」

主演「クゥ」

監督「もっと絞りこむように!」

主演「クー!」

監督「そう!そうだよ!もっとだ、もっと!」

主演「クー!!」

監督「ちがーう!!!」

 

絶対こんなのあるとおもうんですよね~

 

なにはともあれ、一度この緊急事態宣言中にレンタルでもいいので不思議惑星キン・ザ・ザ、見てもらうといいですよ。

 

そして「クー」と「キュー」しか語られないTwitterとか想像してみてください。

 

 

私がNOTEを辞めたわけ

新しい系でブログサービスのNOTEってあるじゃ無いですか。

以前あそこで少しくだらない文章を書いていました。NOTEの良さって1エントリー毎に有料無料が選択できて、ちゃんと課金ができる事、でした。

多分それ以外の良さは殆ど無かった、というか僕には合わなかったと言うべきか。


NOTEが出てきた時は商業漫画家さんが同人誌的に有料で書いていたり、作家さんが荒削りなプロットを出していたり、ある意味新しいサービスを「こう使おう」「ああ使おう」と色々試行錯誤しながら使っていた。


誰もやったことのないサービスは使い方次第でドンドン面白くなっていくな、そう感じていた。そしてそう見ていた。


いつからだろう、その手の新しい事をしている人達がNOTEからスッと離れていったのは。


気付いたらとてもキラキラと前向きなエントリーばかりが目につくようになってきた。

『◯◯ヶ月でTwitterフォロワーを◯万人にした私が教える方法』

『人里離れた僻地で成功してる私の成功術』

『元有名◯◯のマーケティングをしていた私が教える3つのルール』


そしてブログエントリーを上げるたびに「書いて偉いぞ!

「連続で書いてえらいぞ」

「いいねが幾つ付いたぞ」

「フォロワーが幾つ付いたぞ」


うーんなんだコレ


そして週一ぐらいで送られてくる編集部からの注目エントリーのメール。殆どがキラキラしたそんなエントリーばかりの羅列。


そして決定的だったのはIP漏洩。


「セキュリティ上問題ない状態に改善した


?マジで?それで終わりなの?もっと言えばこのキラキラしたエントリーを書いている人達はなんにも思わないの?


マジか。


意識高い系のくせにその辺の意識めっちゃ低いじゃん。お前らキラキラしている奴ら、FBでこれがもし起こっても怒らないの?

キラキラしたのはFBやInstagramだけで十分だ。


ダメだ、もうここは耐えきれない。



そして僕はNOTEを辞めた。

あわない。




インターネットの文章なんて八割くだらないモノ、二割役立つかわからないモノで良いと思っているし、ブログなんて読んでる人がどれぐらい居るかなんてアフィリエイトブロガーさんだけ気にしたらいいと思っている。


ホントは皆は国が雇ったエージェントで僕が暴れない様に普通の人のフリをして、このエントリーも世界に公開されずにひっそりとリハビリの一環としてHDDの片隅にそっと置かれてるんだ、そんな気持ちになるのがインターネットなんだと思って書いているのだw